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新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのお願い
K元牧師 検証報告
CS研究会、CSネットワーク
宣教局
現在ホーリネス系の教団教派を中心に受講者が与えられ、延べで1500人を越える勢いで日本中に広がっています。T&M実施教会も50教会以上になりました。
聖書的で健全な教会を目指すT&Mは、内向きの体質から外向きの教会へと教会を刷新します。教団教派を越えて全国から救いの喜び声が続々と集まっています。
教職だけでなく信徒の方々も多数参加されています。途中参加も可能です。すでにLevel1セミナー又は、コーチングセミナー受講されて登録されているセミナーは無料参加可能です。リピーターも増えて各セミナーは常時40~60名になっています。
アフターコロナに備えて、あなたも参加してみませんか。
第5回T&MLevel1
Zoomセミナー
第4回コーチング
Zoomセミナー
本当の幸せ
本当の幸せとはなんでしょうか。お金があることでしょうか。それとも、知識があることでしょうか。良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入社することでしょうか。確かに、バブル景気の時期はそのように思えていました。しかし、今の時代、本当にこれらのものがあったら幸せなのでしょうか。隣の人の名前は知っていても顔も知らず、仕事も、家庭環境も知らない。自分だけが幸せならばそれで良いと考えて生きている。それが本当の幸せでしょうか。
マタイによる福音書の9章1節から13節に、マタイという人物と、彼の友人が出てきます。このマタイは、新約聖書の冒頭に置かれた「マタイの福音書」を書いた人物です。彼は元々取税人でした。お金は持っていました。けれども、彼には本当の友人はいませんでした。彼の友人は、同じ取税人や罪人たちでした。しかし、そのマタイに。イエスさまは声をかけてぐださったのです。声をかけるどこうか、そのままのマタイを受け入れてぐださったのです。マタイが何か特別なことをしたわけではありません。ただ、いつものように座っていただけです。イエスさまは、そのマタイに声をかけてぐださいました。その時、マタイはすべてを捨ててイエスさまに従っていきました。初めて自分を必要としている人と出会ったからです。
本当の幸せは、あなたを本当に必要としている人に出会えたときに、手に入るのではないでしょうか。そして、あなたを本当に必要としている人物は必ずあなた自身を受け入れてくださるのです。
マタイは、自分自身をそのまま受け入れてくれる人に出会いました。そして、その人は彼の友人をも受け入れてくれました。今まで誰にも相手にされないでいた自分たちを受け入れてもらえる場所を見つけたのです。そして、イエスさまは、彼らと食事をしました。これは、この当時、彼らと真の友人になったという表れでした。そして、イエスさまはきっと、そのことを本当に喜んでおられたのです。
本当の幸せはどこにあるのでしょうか。あなたを本当に受け入れてくれるところにあるのです。イエスさまこそがあなたをあなたのままで受け入れ、愛してくださる方です。もし、今あなたが自分は幸せではないと感じていたとしても、イエスさまの愛を受け入れた時に本当の幸せがやってくるのです。
時を与えてくださる主
神さまはいろいろな時を与えてくださいます。私にとって今は、自由に使える時間を与えられています。長年勤めていた会社を退職し、両親の介護、家庭、教会、主のために使える時間を与えられていると思います。
武毛教区信徒代議員として、6期12年間教団のご奉仕にあたらせていただき、教団監事としても3期、教団委員会をとおして教団委員の方々と深い関わりを持ってきました。本年度からは奉仕局長のご奉仕が与えられて、何もわからないまま、奉仕局の主事や局員の先生方に助けられて今に至っています。
奉仕局の事務連絡として、隠退を迎える先生に電話で話す機会があり、かつてお世話になった頃を思いだされた反面、お年をめされた先生が電話の向こう側におられました。奉仕局長として、どれだけ恩返しができるかと思ったことでした。
奉仕局としては、退職金・謝恩金をもって隠退を迎える先生方や隠退された先生方を支えることになります、財源は教会からの尊い献金とそれぞれの基金です。また、基金についてはリスクを伴いますが、基金の枯渇をさせないために運用しています。
現役教師の先生方の福利厚生については、一部停止とさせていただいております。手当・援助の見直しも検討課題の一つとなります。
隠退された先生方の安否確認も大切な働きとなります。コロナ禍にあっては、直接訪問してさしあげたい先生方も居られますが、電話・お手紙を差し上げて確認させていただき、交流誌「めぐみの輝き」の原稿をお願いしています。
主は「自分の務めを全うしなさい」との御言葉を与えてくださいました。コロナ禍の今にあっても、神さまが与えてくださった時ですから、神さまに御業を期待し、信仰と希望を持って前に進んで行きたいと思います。
主イエスを喜ぶ
主イエスは弟子となる人たちを招き、彼らとともに歩まれました。そこに作られた交わりが信仰の共同体となり、それが教会と呼ばれます。今回のパンデミックにおいて、物理的に集まるだけでなく、バーチャルな空間での礼拝や交わりも広がりました。その是非は別にして、キリストに招かれた人たちが、どのような形であれキリストにあることを互いに喜んでいる。このように喜んでいる人を見るのが、また何とも喜ばしいのです。
主イエス自身はこのように言われています。「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカによる福音書5:32)
この言葉は、主イエスがレビ(マタイ)を招かれたときに語られたものです。マタイはこの招きに答え、すべてを捨てて従いました。その招きはマタイにとり大きな喜びをもたらし、盛大な宴会を自宅で催したほどでした。
「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人たちやほかの人々が大勢いて、一緒に食卓に着いていた。」(同5:29)
徴税人は同業者で、町の嫌われ者です。大勢のほかの人々とは、自分のきよさに誇りを持つ宗教的エリートたちから、彼らに蔑まれ罪人と呼ばれていた人たちまで、種々雑多な人たちです。彼らはどうして一つの場所に集まったのでしょう。もちろん、主イエスがおられるから、さらにはそのそばに大喜びしているマタイがいるからなのです。マタイは教会案内やトラクトを配ったのではありません。主イエスに招かれ、主イエスに近くあることの嬉しさに、自宅で宴会を開いただけです。主イエスとともにあることを喜んでいる。その姿が、人を引き寄せたわけです。
教会におけるアフターコロナはどのようなものになるのでしょう。伝道について、交わりについて考えていく課題があります。どのようであっても、何ができなくなっても、主イエスとともにあることを互いに喜びたいですね。